私は20歳くらいの頃、人生に行き詰まり、不安を抱きながら生きていた。
20年間とたいして生きてないくせに何を人生に行き詰まっとるんじゃと思うが、当時はもう人生お先真っ暗で、寝て起きて仕事して帰ってシコって寝る生活がとても退屈であった。
しかしこれといって挫折したわけでも嫌な事があったわけでもない。
ただただ漠然とした将来不安に駆られ、生きてても何の面白みもない非リア充だったから、働き生きる意味が見出だせなかった。
できることなら寝てるだけで月収30万円は欲しい。そう思っていた。
当時は薄給で、食費を削り月10,000円でガリガリ底辺生活をしていた。
牛丼は280円。マックのハンバーガー単品は59円。そんな時代を生きていた。
デフレでトゥギャザーしていた私をよそに、世間は「いざなみ景気」といわれ日経平均は過去最高値をつけていた。
我々庶民は好景気の恩恵を全く感じられない。冷や飯を食わされるのはいつも俺たちだ。そう思っていた。
そんな少し病んでいた二十歳。
インターネットも持っていない非リア充ほどつまらない人生は無い。
ネット普及率も人口の半分ぐらいの時代だったから、人生を楽しむには如何にリアル充実させるかが鍵だったのである。
20歳の2004年はちょうどmixiがスタートした年だったが、非リア充の友達の居ない私は、誰もmixiに招待してくれなかったので後発組でマイミクは20名ぐらい。全くSNSは楽しめなかった。
このように若くして何故お先真っ暗だったのか?
それは人生に目標がなかったからだ。
いつかビッグになる!なんて中ニ病みたいな高すぎる目標があったとしてもなんの糧にもならない。
だから何でもいいから目標を立てること。小さな目標でもいいからいくつか立てることから始めると、漠然とした将来不安が無くなり継続して頑張れることをこの時に覚えた。
たしかに朝起きてネガティブ思考に駆られたり、ヒマ過ぎてムダに考える時間があると不安が押し寄せるが、それはそれで最悪の事を想像し、どうすればそうならないか考え直すきっかけにもなる。
あれから私は幸いにも、常に目標ができてしまうようになってしまい、不安とか辛さとかそういったものを感じなくなってしまった。死にはしないしな。死んでもいいし。
よく落ち込んでる人や自称病んでる人もいるけど、だいたいは自分じゃなくて他人に対して病んでる事が多いが、関係ないだろ。自分の目標に向かって頑張りやがれ。
目標がないと人間駄目になる。
ただ死を待つだけの生気のない老人にはなりたくないものだ。