先日のバックパッカーでベトナムはホーチミンにいた時の出来事で、どうしてもブログに書いておきたいことがあった。
日本人男性のウスイ氏を発見し声をかけ一杯やろうということになったのだが、彼は英語が話せる人であった。
近くを歩いていたベトナム人男性2人組にノリで声をかけてみたのだが、気の良いベトナム人だったのでそのまま一緒に飲もうとなった。
ベトナム人2人組は英語がそこそこ話せるのでウスイ氏と色々と話していた。私はGoogle翻訳で話す程度である。ここでも英語を話せたらいいなと感じた次第だ。
ただ少しするとなにやら真剣な話をしている様子が伺えた。そして時折、ウスイ氏からベトナム人の質問を逆に私へ振ってくれる時もあった。
彼等の真剣な質問をいくつか紹介したい。Google翻訳がうまく翻訳していない部分もあるが、要約してとくに印象的だったものをいくつかお伝えしよう。
日本はベトナムと同じくらい小さな国で資源もないのになぜ先進国となれたのか?
私は安倍首相が安保法制を改正したことを知っている。中国の南シナ海の侵略について日本はどう考えているのか?
日本軍と中国軍の強さの評価方法はどう考えたらいいのか?
これは若干27歳の彼等ベトナム人のほうから振ってきた話題である。こちらは旅行中であるためわざわざそんな話を振らないだろう。
そこでまず、この質問に答えられる日本人はどれほどいるのかと問いたい。
様々な意見や主張はあるにしろ、自分の意見や主張としてきちんと答えられる日本人はどれほどいるのかと。
「そんな政治的な話はやめようよ、ぼくたちは旅行中だしもっと楽しい話をしよう?」と言うのだろうか。
「興味ないよ-、政治・宗教・野球の話は公衆で話すもんじゃないしさ、何言ってんの?」とでも言うのだろうか。
言わないにしろこう思われる日本人も多いことだろう。さらに皮肉を言えば、子供や教え子、部下などから上記の質問を受けたとしたら、「キミはもしかして意識高い系?」とでも言うのだろうか。
あなたなら一体何と答えるだろう?
彼等ベトナム人は、日本人の私達に日本のことを真剣に聞いてきた。まさか自分の母国のことを答えられないはずはないと疑いもせずにだ。
このような国民意識とでもいうのだろうか、この根本的な問題は日本の戦後教育の在り方によるものだろう。
とはいえ義務教育さえ少しサボってしまった中卒の私が言うのもなんであるが、それでもある程度の問題意識は持っているつもりだ。
あくまで私個人の意見だが、まず最初の質問の「先進国」をどう定義するかにもよるが、とある有識者は「自国の総需要を自国の供給能力だけで満たせること」と定義している。
こう考えるならば日本は江戸時代には「ほぼ鎖国」をしたまま、自国の総需要を自国の供給能力で満たせることができた、天下泰平の時代が約260年も続いた先進国と言えるだろう。
詳しくは割愛するが、こんなようなことをGoogle翻訳を意識した端的な短文で説明をすることがなかなか難儀なものであった。
二つ目、三つ目の質問の答えをシュクショしておいたので少し公開しておく。酒を飲みながら殴り書きしたので甘い部分があるし、じっくり考えればもう少しうまく説明できた
この時の雰囲気や会話の前後を知らずして読むと、こちらが意図しない解釈をされることは仕方がないがあくまでも私個人の意見である。
あなたならどう答えるだろうか?
そしてあなたにはどんな意見や主張があるだろうか?
ウスイ氏は留学生であり私より若いが真剣に答えていた。
ウスイ氏と一緒に考えたりもしたが、英語が話せる彼だとしても、日常会話ではあまり使用しない単語を瞬時に英語化するのを苦労されていた。
そして英語ができない私自身は馬鹿であるとも感じた瞬間であった。
しかしさらに敢えて言うならば、日本語で質問にさえ答えられない自分の意見や主張がない者は「無能で馬鹿」ともいえてしまうだろう。
この出来事で一番の懸念したことは、日本人が日本語でさえ議論できない、または答えられないことが多い状態の中で、
根本的な戦後教育問題を見直さないまま、英語公用語化を国レベルで推進すれば、間違いなく多くの日本人は愚民化することが予想されるだろう。
愚民とは辞書によれば、
・国民は無能で馬鹿だとする見方
・おろかで無知な民衆 とある。
そして英語公用語化は、議論ができることに加え英語が話せる「上級国民」を主体とした国、政治経済となり得る可能性が高まる。
そんなような本を年末年始に読み始めているが、おすすめ本をご紹介したい。
企業レベルで言えば英語公用語化は民間の自由ではあるが、「上級社員」と置き換えるとどうだろうか?競争至上主義と考えるならば無能で馬鹿な社員はいらないということになってしまうだろう。
しかしながら日本人よりも諸外国の外国人のほうが日本の内政に関心があるのではないかと感じている。
安倍首相が安保法制改正という話題が一般の日本人からあまり聞かないのに、たまたまた会った2人のベトナム人から聞くとは思わなかった。
私もそうだが、日本人と一緒に飲むことに彼等も新鮮だったのだろうか。
彼らは本当に真剣であった。
意識高い系と思う人もいるだろうが、同じトーンで言い返せば、その人は意識が低い系の愚民予備軍といえるだろう。
最後に、27歳の若いベトナム人2人から日本人の私達にメッセージをくれた。
思わず写真を撮ってしまったので公開しておこう。
無関心というのは無責任と言える。
改めて己自身に思うことでもあるが、ベトナム人との交流での示唆に富んだ話を書いてみた。