ぼくは17歳の頃、ガリガリの色白で、女性経験もあまりないポークビッツな男の子だった。
だってチン毛が生えたのも中3を過ぎてから。多くの男性諸君がジャングルと化している中、ぼくはまだ鳥取砂丘のように所々に茂みが生えている程度だった。まさにチンカス野郎とはぼくの事だっただろう。
身長も165センチぐらいで伸びるのが遅かった。18歳になる頃やっと10センチ伸びたという寸法である。
そんな思春期のぼくは、何よりもモテたかった。
寝ても覚めてもモテたかった。このあたりは多くの男性諸君が同調してくれることだろう。
でもどうしたらモテるのか、当時のぼくは全く術がわからなかった。
とはいえ今でもモテない。
ああ無常である。
しかし当時はギャル・ギャル男ブーム真っ只中だった。
そんなブームに乗るしかない!このビッグウェーブに!ということで、ぼくは18歳で千葉県から東京都に一人暮らしをすることにした。
千葉のカッペ野郎が東京へ?なんて思っていたが、一応ぼくは東京都板橋区生まれだったので何とか劣等感を抱かずにいられた。
とりあえず日サロでこの色白ボディからの脱却を果たしたが、しかしそれでも渋谷に行けばまだまだ色白のハム野郎。なのでぼくのプレイスポットは池袋がちょうど良かった。
その池袋で、衝撃を受けたファッションブランドがあった。
横ノリ系ブランドのB.o.n.g(ボング)である。
iモード対応ホームページというのが時代を感じるw
店舗の前ではいつもタトゥーを入れたガン黒のギャル男たちがヤニを吸ってたむろしていた。こんな人たちは千葉にはおらんぞ・・・w
当時イキがろうと頑張っていたぼくは勇気を振り絞ってこのショップに入って服を買った。そこで初めて店員に声をかけられた一言目は、「どう最近エッチしてる?」であった。
いやそこは「ご試着もできますよ」あたりだろw
当時は衝撃だったよ。しかしカリスマ店員とよばれる時代だ。ファッションブランドの店員は憧れの存在だったともいえる。
そんな店員とは何度か行くうちに仲良くなった。ギャル・ギャル男ブーム真っ只中だったから当時は流行にのっている感もあり、ファッション以外の情報も上京したてのぼくにスタッフは色々と教えてくれた。
そうそう。ぼくは美容院で働いていたのでそのアパレル店員の髪を染めてあげたこともあった。
しかし程なくしてギャルブームが去りつつあるのと、そして爽やか系に転身したいという動機もあり、いつしかそのブランドには行くことが無くなってしまった。
それから約15年が経ち久慈に移住したぼくは、突然その当時のアパレル店員から連絡をもらった。
あれ以来で久しぶり。強烈なキャラの方だったので今でも覚えている。
たしか岩手出身と言っていたのも記憶していたが、聞いてみたらどうやら久慈出身だという(笑)
そしてきっかけがこちら
この久慈出身のサロンオーナーとその元アパレル店員は同級生で同じクラスだったというwそれで偶然Facebookで記事がとんできたから、よく見たら私だと気づいてくれたようだ。
この中に久慈の方がいますw超こわいw
ワンパンでやられそうだが、久慈の方々はとってもやさしいから大丈夫!
昔に池袋で出逢ってよくしてくれた人が久慈出身だと知って嬉しくなった話