国内には労働人口が約6400万人いるといわれており多くの人が働き、何かしらの仕事をしている。
職に就き勤労する対価として給料を貰うが、世の中には今日の仕事が暇でラッキー!と思う人もいる。
私は高校時代、ピザーラの宅配のバイトをしていたが暇な日はラッキーと思っていた。
忙しい日は、一度の配達で5件の掛け持ちをすることもあり、戻ってきてもまた3件の掛け持ち配達という繰り返しであった。
しかし暇な日は、1件の配達で戻ってきて次の配達まで時間が余ることもあり今日は暇でラッキーだなと思っていた。
忙しかろうが暇だろうが時給900円が変わらないからだ。暇のほうが楽して稼げる。
私は美容師のアシスタント時代、月給は14万円スタートであった。
忙しい日は、約40名のお客さんの頭を2回ずつ洗い、一日中シャンプー台に立っておりメシも食えなかった。
しかし暇な日は、約10名のお客さまの頭を洗う程度でよく、軽く掃除をしながら時間が過ぎていきメシも食えるので今日は暇でラッキーだなと思っていた。
忙しかろうが暇だろうが月給14万円が変わらないからだ。暇のほうが楽して稼げる。
こういったある意味で合理的に考える人は多いだろう。誰でもできることなら楽して稼ぎたい。
そして暇な時間を見つけて、主体的に動くべきというのも頭ではわかっているはず。
稀にそこまで考えられない残念な人もいる。
しかしながらはっきり言って面倒であるがゆえにやらない人も多いし、上司の顔色を伺う人、やっているフリをする人もいる。
このような従業員は非生産的であるが、一度でも経営者や役職を経験すると双方の思惑がわかる。役職が人を育てるという言葉もあるぐらいだ。
しかしながら経営者や役職のある者でも非生産的思考の人もいる。そういった事業所はきまって売上が下がっているだろう。
ただそこで生産的に働いてもらうために給料を増やすという手もあるが、もともと非生産的な人に給料をただ増やしても結局は前述した非生産的思考に陥るだろうと私は知っている。
なぜならば私は前職で久しぶりに4ヶ月間だけ雇われの身になり、この非生産的思考に少し陥ってしまったからだ(笑)
なぜ陥ってしまったのかと自問自答したが、個人的にやりたくない仕事と同時に楽しくない仕事であったからである。
そんな労働者に主体的に動けと言われても無理である。だったら辞めちゃおうぜwだから私は退社したw
やるのとやらされるのは違う!
環境は自分次第!
それでもいかにして楽しむか!
という思考も確かに大切だと思うしこれが主体的にできる人は優秀だ。
とはいえ、仕事が暇でラッキーと思う非生産的にずっと働いているようであれば今すぐにでも辞めてくれたほうが経営者にとってはいいだろう。
どうせ辞めない理由は、安定してる、そこそこ稼げる、楽だから、働きやすいから、転職が面倒だからぐらいだろう。
ただ、人手不足状態になると、それでも非生産的思考の労働者に辞められたら困るという悪循環に陥る可能性もある。
さらにここで売上も下がっているようであれば、その事業所は淘汰されるカウントダウンが始まっていると言える。
あなたは今日の仕事が暇でラッキー?
なにが言いたいかというと、そういう思考がほんの少しでもある人は、給料が上がった、役職をもらった、起業したからといっていきなり生産的思考になるわけではないので注意が必要である。
これは己自身がそうであったという過去の教訓である(笑)