前職を辞めてから、比較的色んな場所へ出向くようになったのだが、
駅前はどこへ行っても同じような店ばかりだなと感じる。
街並みやビルの数などはそれぞれ違うが、
食事をするにしてもチェーン店ばっかり。
その地域の個人店を探そうにも駅前こそチェーン店ばかりで、
時間も限られているし探すのもめんどうなので結局、
うどん屋や牛丼屋、定食屋とかのチェーン店でいいやとなってしまうことがある。
どこへ行っても同じメニューで全て同じ味。
でも値段とか時間とか考えたら、超うまいわけじゃないけど、ここでいいやとなる。
消費者までも合理性と効率性を求めてしまっている。
どこへ行っても全て同じ味なので、気づけば実家のお袋の味と近い概念になっているような気がする。
しかし、そこそこ所得のある者は、少し高くておいしいものを選ぶだろう。
比較的庶民派は毎回そんな少し高いのは選ばない。
ファーストフードは、合理化と標準化、さらに均一化することによって成り立ち、
人々は気づかぬうちにフラット化した世界に入り込んでいる。
余談だが、最近の若い子は確かにかわいいのだが皆同じに見えてしまうのは、フラット化したのかそれとも私がオジサンになってきたからなのだろうか?
一昔前は、キャンキャン系ギャル系B系スト系原宿系など様々な系統があったようにも思うのだがいかがであろうか。
最近淡路島にいったのだが、食事をしようと敢えてアクセスの悪い
古い商店街のお好み焼き屋に入ってみた。
東京のお好み焼き屋といえば、黄色い看板の同じような店ばかりだが、
久しぶりになんだが温かみのあるお店に来たと感じた。
しかも値段もチェーン店より安くてうまい。
こういった個人店または小規模店のほうが、チェーン店にない味と雰囲気を楽しめる。
しかしこのお好み焼き屋がコスパが悪すぎたら、それこそ所得に余裕のある者がメインのお店となり、
庶民派はたまに行くぐらいで、普段は黄色い看板のアクセスのいいお好み焼きチェーン店に行くだろう。
つまり2極化し始めているのではないかと思う。
労働人口における年収300万円以下は約41%である。
多数派はアクセスのいいチェーン店にいく機会のほうが多く、アクセスや宣伝力に劣るあのお好み焼き屋さんはもしかしたら市場の原理により淘汰される確率が高いかもしれない。
しかし地元に愛されていて創業80年と言っていたのでその心配はないだろうが、
同じチェーン店が100店舗あるよりも、せめて10店舗規模のチェーン店が10社あったほうが私はいいなーと思う。
技術や機械の発展に伴い、
19世紀の産業革命以降、資本主義社会が台頭し合理化や効率化が様々な分野に広がっていったと考える。
多くのものが安く大量に生産することが可能になると、資本力のある者が勝ち組となりこうなることは必然かもしれません。
なにも資本主義を否定しているわけではない。
その時代や社会環境により、「バランス」が大事なのであると思います。
そういう意味ではアクセスも悪いしお店も少ないけど、フラット化傾向にある都市よりも地方のほうが資本主義社会が行き過ぎてなくバランスが良く住みやすいのかなと思い始めています。
やはり今後は地方に注目しています!
しかし地方活性化と謳いながら、市場原理主義を持ち込もうとしている最近の流れに大変危惧しています。
このあたりも今後ブログに書きたいと
思います。