天涯孤独とは辞書によれば、
身寄りがひとりもなく、ひとりぼっちであるさま。また、故郷を遠く離れて、ひとりぼっちで暮らすさま。▽「天涯」は空の果て。また、非常に遠い所の意。
とある。
私は岩手県久慈市に単身で移住して早3ヶ月が過ぎたが、天涯孤独なのでお盆ひまです。
身寄りがひとりも無いわけではないが、しかし「故郷を遠く離れてひとりぼっちで暮らすさま」という意味では、私は生粋の天涯孤独であることに間違いないだろう。
移住したとはいえ知り合いはそれなりには増えたが、お盆ともなれば世間は身内での集まりが多くなる。
故郷を遠く離れて移住した者としては、誰にも会うこと無く、独りで家で缶ビールを飲んで過ごすことになるだろう。
先ほど暇だったので愛犬を散歩に連れていったのだが、墓地の近くで家族連れの知人とばったりあった。Facebookで繋がっているので、その後の様子を拝見したら家族と旨そうな鮨を食べながらプレミアムモルツを飲んでいた。
一方で私はというと、コンビニでおにぎりを買い、剣先スルメと発泡酒だ。まぁいつもの日常であるがお盆ひまである。
そういえば先日、移住者に特化したとあるメディアからの取材依頼がきた。ぜひ香取のIターンについて取材をしたいということであった。
大変に有難いお話であったが、今回は苦渋にもお断りをしてしまった。移住したとはいえ天涯孤独である私ではそのメディアは不適格と思わざるを得なかったからだ。
移住してからの「暮らし」において、東京での暮らしと全く変化が無い。そして「地域」との関わりもこれといってとくにない。それは「お盆ひま」がすでに証明している。
また、お祭りや行事などもとくに参加しているわけでもなく、確かにこんな私でも知人は増えてきてはいるが、東京で知人ができるのと同じような感覚である。
特別に「田舎」や「地域」というキーワードを私はあまり持ち合わせていない。
仮にも自分で仕事をしていることもありこれといった組織に属しているわけでもないので、自ら率先して地元に入り込まないと地域性というのは感じられないだろう。
それにアパート暮らしであれば周辺はアパートばかり。全く近所付き合いというものは無い。その辺の独身一人暮らしのおっさんと何ら変わらない生活をしている。
田舎で暮らして変わった事があったかといえば、久しぶりにうんこを踏んだくらいである。野郎なめがって。小学生以来だわ踏んだのは。
だから移住に特化したメディアに私が掲載されるとなれば、ただの晒し者となるだろう。それもまた一興よ、
しかし移住予備軍に悪影響が生じることだろう。
必ずしも移住=希望では無い。天涯孤独のお盆ひまとなるぐらいなら、東京で働いて消耗していたほうがマシといえる。
地方創生がブームみたいになっている昨今、地域おこし協力隊を始めとする移住者が量産されているが、多くの単身移住者は天涯孤独なのでお盆ひまとなっているに違いない。
お盆は帰省しないのか?そんなことも聞かれることもあったが、故郷が遠いのでわざわざ帰るのが面倒である。
私でいえば久慈市から木更津市まで片道約6時間弱かかる。こんなに時間がかかり金もかかるのなら、ハイシーズン明けにグァムにでもいったほうがいい。
しかしハイシーズン明けこそ仕事となるだろうし、東京ー千葉ですら滅多に帰らなかったから、さらに今は故郷が遠く離れているなら、より帰省することはなくなるだろう。
つまり、単身移住するということは天涯孤独に自ら成りにいくのと同義であるといえる。
あぁ、生きることは儚い
先祖に感謝!