香取正博のブログ

東京から岩手に移住して起業した香取正博のブログです

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人は過去の自分の発言に縛られる

人間は、過去の自分の発言に縛られているんじゃないかと思うんです。

 

前に一度こう言ってしまった手前、なかなか素直に間違いを認められず後戻りできないんだろうなと。

まぁこれは当事者にいえることなので、なんて見苦しい人だろうとその人の信用が落ちるだけなので知ったことではないのですが。

 

問題は第三者の赤の他人です。

 

あまり中身を理解してないまま、評論家気取りの上から目線で軽率に発言しているパターン。

あとで事実が明るみになってくると偉そうに発言してしまった手前、事実と違っていた発言をしていたとしても素直に認めず言いがかりをつけたりもする。

 

お前はこう言ってたじゃないか。その時はこうだったはずだ。あの人もそう言っていたぞ。と、ひどいと最終的には自分が悪いんじゃなくアイツが悪いんだと人のせいにするんです。

自分は間違った事を言ってはいないと、自分を正当化した答えを懸命に導きだそうとする一種の認知的不協和に陥っているのです。

 

何となく「ノリ」で発言してしまった結果、間違っている事が分かっていても、詭弁を垂れ流しながら、必死に自己正当化する情けない姿を何度も見たことがありませんか?

 

最近の政治経済でいうと、モリカケ問題や豊洲移転問題など。TPPや原発問題もそうです。

まだ事実が明確になっていない、または情報が少ない中で軽率に発言してしまうと、前述した自分の過去の発言に縛られ、意見や主張をそのまま押し通し、結果的に詭弁となる。

そしてブーメランなんてこともしばしばです。

学者やエコノミスト、コメンテーターですらそのような傾向が多いので、だから私はあまりテレビを観ないんです。

 

もっとカジュアルに言えば、最近は相撲界のことやらZOZOスーツのことやらもです。

 

情報が少ないのにあれこれ推測で議論するのはとても不毛な事だと思うんです。

その段階ではさらっと情報を得るぐらいがちょうどいい。

今の情報社会では読みたい記事が膨大にありすぎるので情報の取捨選択に悩まされるばかりです。

なので事実関係が明らかになって一段落した時にレジュメ的に情報を知れればいいなと私は考えています。

 

なので特定の話題が登場したとして、それについて自分が完全に理解するまで何らかの発言や論評を早々にしないほうが吉。

軽率に「こうだろう!」と発言し、一度発言してしまったら人は過去の自分の言葉に縛られてしまいます。

もし過去の自分の言葉に縛られなかったとするなら、それはホラ吹きか、ただの馬鹿になってしまいますからね!

 

おいらも気をつけなきゃw