近年、SNSが普及し誰もが気軽に発信することができるようになったが、中には思ったことをズバっとストレートに言う強い意見や批判的な主張をする人もいるだろう。
あっその前に、
「批判」と「誹謗中傷」を混同している人もいるがこれらは全く別物である。
良い所、悪い所をはっきり見分け、評価・判定すること。これを「批判」という。
「誹謗中傷」とは、根拠のない悪口や嫌がらせである。
まぁ人により定義が曖昧だが被害妄想の人も少なくないw
歯に衣着せぬ物言いが売りの人もいるが、「何か」を伝える上で私も強めの言葉を敢えて使うこともある。
例えば最近のこのブログ
記事内では「お前」という言葉を使っているが、これは優しく言われるよりキツく言ったほうが効くだろうという思いもあったりする。
ちなみにだが、ブログでは自分の事は棚に上げてとか気にしないでください。何のためにブログで発信してるんですか?自戒を込めてなんて言葉もいりません。自戒なんて前提です。守るな。吐き出せ!
ただ少なくとも発信しているなら批判される覚悟は持たないといけないと思います。
で、私は現実では他人に対して「お前」という言葉は使いません。それは家族や友人に対しても使いません。
使う使わないは人それぞれなのでどっちでもいいのだが、こういった色んな情報を読み取る上でほとんどが読み手による勝手な憶測と思い込みによるものが多い。
それがネット上での大きな誤解。
強い意見や批判的な主張を読むと以下のように感じる人も少なくない。
いつも批判ばかりしているな、この人は現実でも不平不満や愚痴ばかりを言っているんだろうな、きっと敵も多いんじゃないかな、人格を疑うよ。
「悪読み」とでもいいましょうか、
意見や主張が強すぎると悪い方に解釈をする人もいる。
もっと分かりやすく説明すると、強い意見や批判的な主張を「悪読み」する人はこう見えているんです。
この人言い方きつい!こわい人だ!関わるのはやめにしよう!と「悪読み」してしまう人は凶悪なフリーザにでもみえてしまうのでしょう。
しかし反対に「悪読み」しない人にはこう見えています。
どうでしょう?
上記2つの画像を同じ人の同じ主張だと考えてください。
「悪読み」しない後者のほうが印象が悪くみえないでしょう?
なんだかかわいいなw
「悪読み」しなければこの人は言い方きついけど悪い人とは断定できないんです。
そうすることによりきちんと良い所と悪い所をはっきり見分け、評価・判定できる人なのかもしれないと、この人の主張してる真意を冷静に考えられます。
つまり、強い意見を受けすぐに気を悪くする人間や、批判的な主張に否定的な人間はすぐに「悪読み」してしまう自分自身の心が歪んでいるか、心が少し弱い方です。
それをこのように他者に求めてしまうんですね。
・強い意見や批判的な主張はやめましょう
・同調しましょう
・批判はしてはいけません
・批判することは危険なコトです
・これからは調和なのです
組織やコミュニティ内であれば上記は同調圧力です。
しかし「悪読み」しなければ、強い意見や批判的な主張もフラットな視点にみえ、根拠や真意をうまく汲み取れるようになります。
仕事やプライベートにおいても、とても建設的にさっぱりとした心地良い関係性を築きやすいと思います。
逆に言えば、「悪読み」する人はとくにいつも綺麗事や良いことばかり言っている人に多い傾向があります。そういう人は綺麗事や良い話が売りなので仕方がないのかもしれません。
例えばハッピーな人と自称しブログなどで発信しているけど現実で会ったら全然ハッピーな人柄じゃない人もいます。
逆に私自身のことを贔屓目にいいますが、意外と爽やかで普通の人ですね!なんていわれることもあります。
どちらがいいでしょう?かは人それぞれ価値観も違いますが、人間だから憶測や思い込みがどうしても出てしまう。
その時その日の気分によってもまちまちですが、少なくとも「悪読み」してしまわないように心がけて読むことも大切で、また違った世界がみえてくると思いますよ。
綺麗事もあったり強い意見や主張もあったほうが人間らしくて私は好きです。