先日、久慈の七夕祭りに行ったのだが中々の賑わいであった。
学生やカップル、子供連れのファミリー、地元のおっちゃん達が集まり酒を飲み、どこも笑い声が聞こえてくるそんな夏の風物詩であるが、みんなとても楽しそうであった。
私はといえば、行く人がいないので犬の散歩がてらお祭り付近を散歩していた。ゼーゼー暑そうなぼー太郎さん
せっかくきたのでビールと唐揚げを購入し、唐揚げをぼー太郎さんに食べさせたりしながらとても幸せなひとときであったよ、
お祭りでは知り合いと何人か偶然会ったが、あまり話も弾まず挨拶程度。先方も誰かしらと一緒にいるので、私はこういった時はお邪魔にならないようにすぐに消えるようにしている。
それにより何か素っ気ないように思われてしまいかねないが、コミュ障の私としては我ながらこれが神対応だと思っている。
場合によっては、お相手がどちらかといえば私と会うより会わないほうがマシだろうと独自に判断し、スーッとさりげなくバレないように存在を消すこともある。
いや特に人が面倒とか嫌いとかそういう気持ちでは全くない。
だが会ったところで特に会話が弾まなそうなのも予測できるし、そうならないようにヘンテコな会話を繰り出してしまう傾向があるから、逆にお相手に気を遣わせてしまいかねないかなと、
それなら先ほど言ったとおり私と会わないほうが先方にとってマシなのだろうという独断である。無難に気づかなかった事にしたほうがいいというのが過去の経験則によるものだ。
お祭りに行ったとはいえ滞在時間は10分程度、
みんな楽しそうだけど私はやはりあまり輪に入れないよ、
いや昔からそうだからいつもの事である。
先日の盛岡さんさ踊りだって皆楽しそうに踊っていたけど、ほらカトリーヌもおいでと言ってくれたが、人生で踊ったことも無ければ、お祭りに参加したことがない私は、その輪に入ったところで一体どうすればいいのか分からないのである。
かといって一緒に見よう見まねで踊ってみろ、風呂上りの一人裸踊りしかしたことが無い私が、いきなり皆と楽しそうに踊れるわけがないだろう。
かといって無理して楽しそうにすることも残念ながら出来ない。いやつまらなくも無いのだが、なぜか心の底から楽しめることができない自分が一番よくわかっている。
終始真顔となってしまい雰囲気を壊してしまうのが目に見えているから、結局は参加しないほうがベターというのがこれまでの経験からそう考えている。
いや何も気取っているわけではない。
飲みに誘われたとしても、それなりに愛想よくはできるのだが、とくに面白い話ができるわけもなく、かといってノリとツッコミが下手だからうまい具合に馴染むことができないだけである。
ともなれば一歩下がった位置でポジショニングを取っていたほうがいい。なんか居たね、ぐらいがちょうどいいだろう。
時に淋しそうとも思われるが、ここでは「侘しい」という言葉のほうがお似合いだろう。
と書きながらも、これといって特に何にも気にしてはいない。これもまたありのままの自分であるから、むしろそんな自分が大好きだ
今日の久慈は大雨が降っている