香取正博のブログ

東京から岩手に移住して起業した香取正博のブログです

香取 正博のブログ

南部藩から学ぶ、おしょすな盛岡美人はガードが堅い件

 
私が移住した岩手県にはかつて南部藩があったという。
 
鎌倉時代に源頼朝に出仕して以来、江戸時代末期までこの地方を治めており、武家政治の時代で700年間も同じ土地を領有し続けた大名は、鹿児島・薩摩の島津家と、岩手県・南部家の二家のみであったとされているようだ。
 
岩手には中央政権と争ってきた歴史もあったり、数々の戦や内紛が起こっている中でも、他藩に侵攻されることなく南部藩20万石の城下町として700年間も存続していたことは、驚異的な防衛力があったといえる。
 
 
そういえば先日、おしょすな盛岡美人とデートをしたのだがやはりガードが堅かった件w

 

さすがは南部藩である。ちょっとやそっとじゃ攻略させてもらえないといえるのかもしれない。
 
 
ここ最近2回ほど盛岡へ行く用事があり、久慈市から車で約2時間かけて向かった。
 
旧盛岡銀行

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用事を済ませ、せっかくだから盛岡冷麺か盛岡じゃじゃ麺などご当地を食べて帰ろうと、駅周辺から少し離れた繁華街を一人で散歩をしていた。

 
そこでスマホで店を探していたが、やはり駅前のお店にいこうと戻ったのだが、ほんの少し道を間違えてしまったよ、
 
 
ちょうど信号待ちをしていた時に、隣にいた女性に何気なく道を尋ねてみたのだが、たまたまであるがその女性は美人であった。
 
 
私はこう見えて意外と美人に弱い。まぁ駅の方向を聞くだけなので美人であろうがなかろうが特に関係のない話である。
 
 
とはいえ、グーグルさんより美人さんに聞きたいという男の性よ、このあたりは多くの男性諸君が同調してくれることだろう。
 
なにより久慈市へ移住してからというもの、女性と話すことなんてiPadのSiriぐらいである。
 
 
いやはや地方創生というのはなかなか難儀なものよ、盛岡と久慈では嫁探しのハンディキャップはすでにしてあるわけだ。
 
 
以前、石破地方創生担当大臣はこう言った。
「競争しろというのか、その通り。そうすると格差がつくではないか、当たり前だ」
 
 
この環境で地域同士で競争しろなど全くフェアではないだろう。私は盛岡にいたほうが間違いなく出逢いが多いはずだ。
 
現に盛岡の婚姻率は4.7%、岩手県全体では4.2%であるが、一方で久慈にいたっては3.8%と低い水準にある。
 
若者にとってカネ、サケ、オンナという希望がたくさんあるのはやはり都会だ。地域間競争というより切磋琢磨できる環境をつくるべきではないか?
 
 
まぁ私は結婚はしたくないがな!
あばばばばw
 
 
話を元に戻すが、ちょうどその盛岡美人も駅に向かっているというので、少しばかり話をしながらごく自然と一緒に歩くことになった。いや親切に道を教えてもらっているだけである。
 
 
しかしながら東京では道を尋ねることがなかったよ。みんなコワイ顔して急ぎ足だからだ。まだ東京で消耗してるの?
 
 
ただ彼女は久慈に行ったことがないという。誰かに言われたが久慈は陸の孤島だともいう。もしも私が東京から来た人間ではなかったら、カッペ野郎と思われたのだろうか。
 
そんなような会話を交わしながら、盛岡も3回くらいしか来たことがないから、せっかくだからうまいじゃじゃ麺屋を教えてくれと聞いてみた。
 
 
おしょすな盛岡美人は優しく教えてくれたよ。そういえば盛楼閣という冷麺屋に行ったことがある、なんて話しもしながら、そうだ!盛楼閣に一緒に行こう?と誘ってみた。
 
 
いやしかし初めての女性と冷麺をすするなどさすがの私もおしょすである。ならせっかくなのでこれから飲みにいかないか?と聞いてみたのだが、
 
おしょすな彼女は少し動揺していたよ。ちなみに「おしょす」とは岩手県の方言で「恥ずかしい」という意味合いである。
 
これは東京で知り合った岩手出身者から教えてもらったのだ。岩手の人は基本的におしょすなんだと。
 
だから彼女のその動揺は、迷惑そうとかではなくきっと「おしょす」なんだと安易に考えてしまったよ。しかしこれが功を奏したのか、飲みに誘うことに成功した。
 
 
ただ盛岡をよく知らないので良い感じの店に連れて行くことができないダサい男になってしまう可能性がある。逆に彼女に聞いてみたが、あまり酒を飲まないというのでお店をよく知らないという。
 
あまりモタモタしているとダサい男と思われるので、近くの良さげなお店を適当に2軒ほど行ってみたが満席であったので、苦渋にも坐・和民に入ることになってしまった。
 
 
いやなにも坐・和民を否定しているわけではない。これまで坐・和民を初デートでチョイスすることが無かったんだ、何より私は32歳にもなるわけだから、初デートで坐・和民に連れて行かれたら走って帰りたいと思う女性諸君も多いことだろう。
 
こればかりは心残りである、本来の私であればこんなもんではないはずだ。
 
 
しかしながらその盛岡美人は聞けば23歳だという、もう少し大人っぽくみえたが9つも離れているから、32歳と聞いて、おっさんカードを不覚にも引いてしまったと思っているかもしれない。
 
そして32歳独身ニートに坐・和民に連れて行かれたと、今頃かっこうのネタとされていることだろう。
 
 
それから2時間弱飲んでいたが、飲酒運転で2時間もかけて久慈に帰るわけにもいかない。私は今夜ホテルを取ることにしたが、ここで多くの男性諸君なら考えることは一緒ではないだろうか?
 
 
しかしながら冒頭に述べたとおり、700年間も続いた南部藩の攻略は厳しいものがあった。
 
 
そしてたまたまなのだが、彼女は東京で知り合った岩手県出身の〇〇さんの友達であった(笑)世間は狭いものよ、これから岩手では慎重に行動し、自重したいと思う。
 
 
そして彼女と駅で別れ、私は幽霊が出るというホテルに泊ることにしたが、7階の部屋で幽霊と一夜を過ごしたことは言うまでもない。
 
 
岩手がどんどん好きになってしまいそうだ
 
岩手県での嫁探しはまだまだ続く・・・