どうも香取です。
突然だが私はダサいのが嫌いである。
これは昔からなのだが基本的にダサいのが嫌いである。
例えば髪型でいえば、ダサくならないようにと中2の頃から髪型の変化がない。隠れブサイクをカバーするためにこれが一番マシだと思っている。だから母ちゃんに連れて行かれた床屋に通っていた当時はダサかったよ。
例えばファッションでいえば、基本的にはファッションセンスがないので無地のシンプルスタイルに行き着いた。サイズ感さえ気をつければ一番無難だと思っている。だから母ちゃんが買ってきた服を着ていた当時はダサかったよ。
そういえば白いブリーフは小6まで穿いていた。友達に白いブリーフを笑われた記憶がある。そこから柄パンを母ちゃんに頼んだのだが、買ってきた柄パンはピンクパンサーのやつであった。
もうひとつはキャプテン翼の柄パンであったが、このあたりからだ、私が柄物をあまり好まなくなったのは。
なので過去にユニクロの無地の靴下がダサいと言われたのは心外であった。
あと、カバンや小物、家具などもダサいのが嫌いである。実家の布団や食器なども何かダサいものが多い。これらはもともと家にあったものを使用していたが、つまり大体が母ちゃんが集めたやつだと推測できる。
なぜ母ちゃんが買ってきたものは大体ダサいのだろうか?わかるだろうか?この感覚。
おそらくこの母ちゃんのダサいセンスのおかげで私はダサいものに敏感になったのかもしれない。
このブログを読んでいる母親達よ、
もしかしたら貴女の購入するものは大体ダサい可能性が高いので気をつけるといい。
しかしいくらダサいのが嫌いだからとはいえ、前衛的なデザインは好きではない。基本的にはセンスがないのでハイセンス過ぎると対応できなくなってしまう。
ただ、ダサいという定義や感じ方も人それぞれだろう。そもそもダサいのが好きな人もあまりいないとは思うが、それでも世の中にはまだまだ多くのダサいものがある。
スマホやパソコンのデザインでさえダサいのはあまり選びたくない。欲をいえば、もう少しイケてたほうが良いと思うものも多い。例えば家電などもダサくはないのだが、もう少しデザインがイケてたほうがいいなんてこともよく感じる。
安くてダサいものもあれば高くてダサいものもあるが、そう思えば価格とは別にデザイン性においてはまだまだ開拓の余地があると思うのである。もちろんスペックの向上を怠らずに、そして意味不明な革新的デザインは除く。
ダサいって不思議である。
人間は一瞬にしてダサさを感知している。
これは論理的に言葉で説明ができない。
しかしもしもカッコつけマンが、
道でウンコを踏んだらダサい。
ダサいのは見た目だけではないが、行動や人間性がダサいというのはまた別の話w
ダサいというのは奥が深い。