香取正博のブログ

東京から岩手に移住して起業した香取正博のブログです

香取 正博のブログ

【自分に悲報】これまでの人生、32年間は一度も頑張ったことが無い件w

私は今年で32歳となるのだが、この32年間のうちに、そういえば頑張った時はあったのか?と、昨夜に犬の散歩をしていてふと思ってしまった。

 
 
過去を振り返ると、まぁそこそこに頑張った時はあったのかもしれないが、死に物狂いで何かに取り組んだ事は、じつは一回も無かったのではないかと思うのだ。
 
最近はFacebookで東京のビジネスパーソンが忙しそうにしてて裏山wとそう思う。
 
 
小学生のころなんて、少年サッカーやってたぐらいでこれといって特に頑張っていない。サッカーやマリカー、ドンキーコングやドラクエをただやってただけ、大した実績も残していないやつだった。
 

 

中学生はどうだ?これといって学業を頑張っていたことはなく、むしろサボっていたぐらいだ。
 
サッカー部も3年間所属していたが、途中の1年間ぐらいは幽霊部員だ。
 
試合があってもレギュラーでもなく、試合すら見ずに大橋の母ちゃんの胸チラを見ながらキャッキャッしながらベンチを温めていたぐらいしか記憶にない。
 
 
監督が試合の途中で、香取!選手交代いくぞ!と言われても、いや大丈夫です!なんて断っていたこともあった。
 
だって残り時間10分程度で交代したって意味ないだろう?安定した試合ならなおさらだ。そんな10分程度のプレーなんて意味がない。疲れるだけだ。とそんな中学生だったよ。
 
 
高校もサッカー部に所属したが、練習はふざけっぱなしさ!笑いこそ全て!ヘディングしてる瞬間の顔を研究したり、ドリブルで抜かれたらせめてケツを触って動揺させるとかそんなことばかりやっていたよ。
 
そして1年生大会 優勝できなかったら坊主!が伝統の高校だったのだが、あえなく2回戦敗退!みんな坊主にしてたが、私はというとそのままサッカー部をバックれたよ。
 
だって試合に出てない俺がなんで坊主にしなきゃならんのよwとしか思えないわけだハゲ野郎。
 
 
そして親父がハゲで将来ハゲ確定のくせに美容師となったが、ここでも頑張ったことってあったかな?
 
 
休みが少なく拘束時間も長い、立ちっぱでメシも食えず給料も安いアシスタント時代は、ほぼ毎日毎晩、休みの日ですら練習をしにいっていた。早くデビューしたかったから1年でスタイリストになったが、ここは唯一頑張った時といえるのか?
 
甘く見れば自分の人生ではそう言えるかもしれない。しかし業界ではこれが至って普通なわけだからこの程度の者はごまんといるわけだ。
 
 
それにスタイリストになって半年で辞めちゃったよ。何だかもういいやってw19歳の時だったかな?それから渋谷のスクランブル交差点でキャッチのバイトしてみたり、歌舞伎町のホストの体入に行ったりフラフラしていた。
 
いずれも数週間でバックれたが、10代は本当にどうしようもない奴だったと思っているよ。
 
 
それからどうしようかとお先真っ暗に悩んでいた時期があったが、いつしか美容院で独立することを目標とし金を貯め25歳で独立を果たした。
 
 
しかしそれまでの間は頑張ってたのだろうか?オープンしてからも本当に頑張ってたのか?
 
寝る間も惜しむぐらい頑張った時はあったのか?
 
 
いやそう思い返しても死に物狂いで頑張った時期なんて一回も無いわw
 
 
しかし当時、独立した1年間は売上もなかなか上がらず辛かった。
 
 
ではどうしてたかというと、金が無いからチラシを自分で作って、スタッフとサンシャイン通りでビラ配りをしていたな。
 
 
新規のお客さんが60日を過ぎてもリピートが無かったら、ハガキを作って手書きでアフターフォローメールを送っていたな。
 
 
当時はmixiがまだ主流だったから、スタッフ写真を載せたPOPを作って「マイミクになりましょう」と店内に貼っていたな。
 
無駄に足あとを踏みまくって、今で言うイイネ!をお客さんにしまくってたw
 
 
そんなことを1年やってると、なぜか売上が右肩上がりだった。それから2年後に2店舗目をオープンすることができたけど、これははたして頑張っていたのか?
 
よくわからないのだが、少なくとも今現在よりは夢中だったような気がしてる。
 
 
では今のナインオクロックはどうだ?
 
まだ1ヶ月半とはいえ、あの頃に比べ随分と余裕そうで何ら頑張っていないではないか、
 
 
余裕そうなくせして大して売れているわけでもなく、野心だけはいっちょ前で、どうしようもない10代のあの頃と何にも変わっていないではないか、
 
 
前職では、事業所もあり、従業員もおり、借入金もあり、それなりの責任があった。
 
 
しかし今は全く何の責任もない。ナインオクロックがどうなろうが大した影響もなく、最悪何かあっても私一人がただ失敗に終わりました!だけである。
 
 
そうなれば久慈の家を引き払い、東京に帰ることが濃厚だろう。残ったTシャツは、どこかのバッタ屋に投げ売りすることになるだろう。
 
 
しかしもしもそんなことになったとしたら、
 
Tシャツを買ってくれた人はどう思うだろう?協力をしてくれた人はどう思うだろう?新聞を見てくれた、掲載してくれた人はどう思うだろう?
 
 
そう考えた時、自分一人でだらだらとやっている場合ではないと思えた。今もっとも人生で頑張る時じゃねーのかと?今頑張らないでいつ頑張るの?
 
 
 
ナインオクロック株式会社を設立します
 
 

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